2016年の始まり!
今年が始まるということで、まず映画を見ました。
「はじまりのうた」です!
ずっと音楽が鳴りっぱなしの素晴らしい映画です。
スティービーワンダーのこの曲が流れてるシーンがすごくよかった。
Stevie Wonder - For Once In My Life
「今年の抱負」
3つあります。1つ目はカフェを開く
2つ目はこのブログを続けること
3つ目はたくさんの小説を読むこと
ですね!
カフェについては今年開けるんじゃないかという気がしています。いやー、というかもう開くしかない。それ以外に道があるのか?ない!終了!
というわけでカフェは今年中に開きます。
ブログに関しては方針を定めていきたいところです。
正直ほぼ誰も見てないブログなので、グーグルの力を借りていきたい。ただしseoのことばかり考えると楽しくないので基本的に書きたいことを書くつもりです。
ただこのブログのタイトルは変えようかと思います。sakanantanという名前にもちょっと愛着が付いてきたところだったのですけどね!コーヒーなんちゃらとかそういう名前にします。
あとコーヒーに関する知識とかいいカフェを紹介する記事を作っていこうと思ってます!これはマジで頑張りたい!ただそのためにはガンガン外に出ないといけないんですよね。正直ここ1か月はかなりお疲れモードだったので少しさぼり気味だったのですが、今年はやっていきます!
小説!もっと文章力を付けるために本を読んでいこうと思っています。
おそらくエッセイとかのほうが勉強にはなるんだろうけど、小説のほうが面白いですから。
それでは今年もよろしくお願いいします!!
孤独に耐える方法 -自己充足ってどういう意味?(前回の続き)
自己充足とは?
前回の記事でロレンスの「恋する女たち」について書きましたが、いまだに気になっているので続きを書いていきます。
「恋する女たち」の後半で、ジェラルドは恋人のグドルーンと一緒に旅行に出かけます。しかし旅先で二人は上手くいかず、ジェラルドはグドルーンから離れたいと感じるようになります。しかしいざ逃げ出そうとしたときに、ジェラルドは以下のように自分自身に問いかけます。
「おれはどこへ行かうといふのか?」とみづからに問ふ。
「お前は自分だけで充足しえないのか?」男は自尊心にかけてみづから問うた。
「自己充足感!」と男は繰り返す。
僕はこの自己充足感という言葉が強く印象に残りました。あまり聞き慣れない言葉だったのですが、この「自己充足」していない状態とは、自己完結することができず、常に不安を感じたり、イライラしてしまうような状態のことを指すのだろうと思います。リア充とか非リアとかいう言葉が流行っていますが、現代風に直すと「リア充になりたい!」といった叫びでしょうか。
ただジェラルドという人物は炭鉱での仕事で既に社会的な成功を得ていて、外見もよく女性にもモテるから、一般的にはリア充の部類に入るはずです。
一見リア充なのに虚無感に襲われているような人の別称ってなんなんでしょうか。すぐには思いつかないですが、「孤独に耐えられない人」のことなんじゃないかと思います。
孤独に耐えるには
自分とジェラルドを重ね合わせているわけではないけど(ジェラルドはかなりの男前なので)ジェラルドが自己充足感!と叫ぶ時、僕はジェラルドの孤独が解るような気がしました。そしてジェラルドような人間はどう生きるべきなんだろう、という何だか漠然とした問題意識が生まれました。
「恋する女たち」はその解決策を出していなかったからです。
間違っても強者であり続けるべきだとか、社会的な地位を得ようという話ではないなということは解ります。問題が心の内側のことだからです。
何らかの目標があるなら、それに向かって努力すればいればいいのかもしれない。それは決して悪いことではないと思います。ただそういうものが突然無くなってしまったり、見失ってしまうということはあると思います。そういう場合に陥ったときにどうすればいいのか。
なんか偉そうに言いますけど、今の世の中は目標を持ちにくい社会なんじゃないかと思います。勿論そうじゃない人のほうが多いんだと思いますが、不景気で就職しない若者とかもたくさんいるし、そういう話はよく聞きます。
自分もそう感じることがあります。これから一体何をすればいいんだろうとか、とにかく行動しろとか言われても、一体何から始めればいいんだろうという最初のところで躓いてしまうということがよくあります。
自分の場合は、コーヒーの味に詳しくなったり、このブログを書いていることが孤独から逃れるのに役立っています。それに僕はあんまり社交性のあるタイプの人間ではないですが、やっぱり全く人と会わない生活というのは寂しすぎるように思います。例えば3日間家の中で一人でじっとしていられるかと言えばそれは難しい。全く予定がなかったとしてもどこかの喫茶店なり本屋に出かけないと駄目で、一人でじっとしていられない性質なんだと思います。
叫びだしたいくらいの孤独。出来ればそんな気持ちは味わいたくないけど、もしそういう気持に襲われたとしても、自暴自棄になるぎりぎりのところで耐えるしかないんでしょう。自分でも解ってるとは言えないですが、そうして少しずつ強くなっていく以外にないんじゃないでしょうか。
感想は以上です。
それから、なんと2月にロレンスの「息子と恋人」の新訳が出るということを偶然知りました。
以前から気になっていた小説だったのでこれは嬉しい!
それからこのブログもどんどんレベルアップしていきたい!
感想「恋する女たち」 dhロレンス
恋する女たちという小説を読みました。まだ観てないけどdvdも出てるみたいですね。
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色んな恋愛観を持った人間が出てきてああだこうだ言い争います。最初はとっつきにくかったのですが中盤からジェラルドが徐々に駄目になっていく様子がリアルで引き込まれました。
小説の舞台は20世紀前半のイギリスで、機械化、効率化が進み、人が幸福を感じられなくなりつつある時代。そうした時代に生きる意味を失った登場人物たちが出てきます。
それが顕著なのがジェラルドクリッチで、ジェラルドは炭鉱での仕事に従事し、より一層の機械化、効率化に励むが、それが達成されると突然虚無感に苦しみ出します。ジェラルドは何をしたらいいのかわからない倦怠に耐えられない。
ジェラルドにとっては愛とか結婚はたいした意味を持たず、他人にも興味を感じられない。そのうちに彼は病気に掛かった父親の死を見舞いながら、自分自身も「うつろな貝殻の内部」に入り込んでいきます。
何もかもが虚しく思えて生気を失っていくジェラルドは女性を必要とするけれど、愛することはできない。最終的にジェラルドは雪山を登って足を滑らせてあっけなく死んでしまいます。
ジェラルドはおそらく結婚の代わりに何か情熱を注げられるようなものを見つけるしかなかったんでしょう。
炭鉱での仕事に意味を感じられなくなったジェラルドはグドルーンと結婚しようとするが、それは決してグドルーンのことを愛しているからではなく、結婚に代わるようなものが見つけられないだけでした。ジェラルドにとって結婚はゴールではなく最終手段でしかない。同時にバーキンの友情に対しても勝ち誇ったような微笑を浮かべたまま拒絶してしまいます。しかも自分で拒絶したにもかかわらず、その状態に耐えることができない。
バーキンもアーシュラに求婚するが一度断られる。バーキンはジェラルドよりも深刻ではないけど、プライドの高さをアーシュラに見抜かれ、「どうしてあなたは私を苛めたいの」と言われてしまう。
恋人だったグドルーンはジェラルドの死に対してとても冷たい。バーキンの友情もジェラルドを救えるほどのものではなかったのでしょう。
中々悲壮感漂う話でした・・・。より効率化が進んでいる時代に生きている人間としてはよく解るが、ラストはあまりにあっけなさすぎるようにも感じました。