sakanantanのブログ

カフェを開きたい、日常で感じること、コーヒーの知識などを思いつくがままに書いていきます

酷い気分の一日を無駄に過ごす。

馬鹿みたいに眠い日。やってられない!コーヒーもまずい。なんだこれ。ただの苦いお湯じゃないか!そんな風に思ってしまう日がある。そういう日は時間の感覚も忘れ、今が何時なのかも解らないまま、ずっとベッドの中に閉じこもったり、椅子に座ってじっとしていたりする。

 

日が沈んだころ、ようやく自分が今日という一日を特に何もせずに過ごしたことに気が付き、焦って何かしたことにしようとするのだけど、何もしてないのに一日が終わってしまうことに耐えられないので、せめて自分の中で何かしたという事実を作っておきたくなる。

 

たいしたことじゃない。例えば観るつもりもない映画を借りてみる。勿論まったく興味がないというわけじゃなく、当然見たいものを借りてくるわけだけど、でも根底にあるのは映画を借りたという事実を作ることだ。結局見ないで返すことのほうが多いかもしれない。だから僕が借りてくる映画にはパターンも何もない。人気があろうがなかろうが関係はない。だって見ないことのほうが多いんだから。だからその日の気分に合わせて借りてくる。でもスターウォーズはなんとなく見てみたい。

 

映画を借りたらすぐ近くのカフェに入って2階の席に座り、外の景色を眺める。車が走り去っていく。信号が赤になると止まり、その後ろに列ができる。青になると一番最初の車が動きだし、それに続いて後ろの車が少し遅れて徐々に動き出す。そしてまた車が走り去る。その規則的な流れをじっと見つめる。そのことで何かが劇的に変わるわけではないし、変わってほしいとも思わない。大地震が起きて、急に現実がぐらぐらと傾きだしたとしても、きっと僕は車の動きが不規則になることに苛立ちを覚えるんじゃないか。

 

 外の様子をなるべく自分は干渉はせず、ただ見ているほうが気が楽だ。今のこの瞬間を一生懸命生きるっていうことが僕にはとても難しい。すぐに動揺して状況を飲み込めなくなってしまう。そんなことばかりだ。

 

人生は暇つぶしだ!と言っていた人を思い出す。そのときは、え?何言ってんのこの人?と思った。今ではその意味が解るが、その人が今もそう思っているとは限らない。その人はいまや人生は毎日を充実して送るべきだと考えているかもしれない。人間の人生観なんてコロコロ変わる。働いている人とそうでない人では色んなものの見え方も違うだろうし、子供がいる人といない人でも全然違うだろう。僕もこの数年で随分変わった。自分の置かれた状況によって、考えが180度変わることだってある。しかもそのことに自分でも気が付いていないということもあるだろう。

でももしそんな風に変わっていくとしても、多分それはもともとその人の中にあった考え方なのだ。それが周りの環境とか色々な要因で変わっていく。どんな服を選ぶのかと同じだ。そのバリエーションが増えていくだけだ。だから人生が暇つぶしだと思って生きていた人が、次の日に意味のない人生を生きていても仕方ないんじゃないかと言い出したとしても多分それはその人の中で繋がっているんじゃないかと思う。

 

同じように自分がやられて嫌なことを他人にするのはよくないと言うけど、実際には自分がやられて嫌なことを他人にしているケースはよくある。 ありすぎてびっくりする。でもそのことに本人は気が付かない。それを後になってから気が付くこともあるけど、結局客観視できるのは一人でゆっくり考えているときだけで、例えば僕は頭の中では誰のことも嫌ってなどいない、多分そうだと思う。でも現実に誰かとあったり、仕事をしていたりすると気が付けば腹が立っていたりする。

現実は頭の中で考えていることなど殆ど理解されないし、どんなにいいこと考えていても能面のような顔をしていては全く誰にも相手にされない。他人と分かり合うには一緒のことで笑ったり、共感したりすることの力が大きい。だからなるべく楽しいことを考えるようにしたほうがいいんだと思う。つまらないと思って過ごしているとどんどん悪いサイクルに嵌っていく。

 

そんなことを考えている間にカフェの中には誰もいなくなり、店員が慌ただしく机や椅子を拭き始めている。閉店の時間になっていたのにも気が付かず、こんな時間まで何してんだろうと思う。自分でもさっぱりわからない。でもこうして自分がカフェに行ったという事実だけは作られる。こういう日があってもいいんじゃないかと思う。

 

こういう無駄な一日に何か意味があるとすれば時間が経つということだけだ。嫌なことは大体時間が解決してくれる。それならただ悩むより何かしたほうがいい。

 ブログをやり始めたことは自分にとって本当によかった。何かを書いている間は、何かをしている気分になれる。テレビをずっと見ていたり、ネットサーフィンをしたりするよりよっぽどましだ。

酷い気分の日にはコーヒーが美味しいとも思えない。本当にお湯と何が違うんだろうとさえ思う。気分によってコーヒーの味は変わるのだ。最悪の気分の日には、どんなに美味しい最高のコーヒーもただのお湯だ。多分そういう時はお酒を飲んだ方がいい。

コーヒーが一番美味しいと思える時は自分が充実しているときだと思う。集中して何かに取り組んだ後に飲むコーヒーは本当に美味しい。だから本当に美味しいコーヒーを飲むためには充実した毎日を過ごしていないといけないんだと思う。ぼんやりと生きていると、コーヒーの味もぼんやりとしか感じられなくなってくる。起きてすぐお湯を沸かしてコーヒーを入れるのがいい。そうすると大抵美味しく感じられる。だから何か頑張ったほうがいいんだろう。コーヒーのおいしさを思い出すために。