sakanantanのブログ

カフェを開きたい、日常で感じること、コーヒーの知識などを思いつくがままに書いていきます

腰痛の痛みは他人には解らない

昔体育の授業でわざと足を挫いて大袈裟に痛がったことがある。実際ちょっと痛い程度だったが皆が僕に注目し、坊主頭の先生が心配そうに僕に声をかけた。僕はにやっと笑ってすぐに起き上がると何事もなかったようにみんなが並ぶ列に戻り、先生はだまされたことに激怒していた。なんでそんなことをしたのか?よく解らない。その頃はそういうことをするのが楽しくて仕方がなかったのだろう。

 

先月人生初の腰痛になった。僕はそれまで腰痛になったことがなかった。原因は解らない。僕はその日近所のカレー屋にいた。結構なボリュームのカツカレーを食べて満足してお会計を済ました。この時点では自分の体に何の違和感も感じなかった。ところが外に出てから2、3分歩いたところで唐突に腰に激痛が走ったのだ。最初はすぐによくなるだろうと平気な顔をして歩いていたのだが、じわじわと痛みが広がっていき、ある時点でこれはほっときゃ治るなんてものじゃないということに気が付いた。ところが家まで距離があるのでしばらく歩かないといけなかった。

歩いている間中、ずっと腰の付け根あたりが悲鳴を上げていた。骨から熱を発しているみたいだった。痛みに耐えながらなんとか帰宅し、鏡に映った自分の顔は真っ青になって歪んでいた。座ってようが立ってようが関係なく、どんな姿勢を取ろうと無駄だった。唯一上半身を抱え込んで蝸牛みたいに丸まった姿勢を取ると楽になったが、その姿勢ではほかに何も出来なかった。結局その日はずっとベッドに横たわったまま一日を終えた。

 

ぎっくり腰はもっと痛いんだよ、と先日実家に帰ったとき母親に言われた。母親も昔ぎっくり腰で入院したことがあったらしく、そのときは全く動くことさえできなかった、それに比べて僕はかろうじて歩くことはできたし、本当のぎっくり腰は呼吸するだけで痛いのだ等々。そうかもしれない。それでも信じられないほどの痛みだったのだ。 僕だって最初は舐めていた。テレビで腰痛に効く薬のCMが流れているのを不思議に思っていたくらいだ。肩凝りや風邪は解るが、たかが腰痛で?以前の僕ならそう言っていただろう。

 

ある日、職場の人がヘルニアで入院した。僕が腰痛になるよりも前のことだ。その人はずっと長いこと腰痛に苦しんでいたらしく、いずれ良くなると思って放置していたらしい。ところが一向に治らないので病院に行って検査したところ、それがただの腰痛なんてレベルのものではなくヘルニアだということがわかりすぐに手術に踏み切った。

つまりその人はずっとヘルニアを我慢しながら働いていたということだ。自分が腰痛を経験した今になってそれがどれだけ大変なことか理解できる。理解?いや、想像することができるだけだ。実際の痛みは本人以外解らない。

 その人が入院する直前に、僕はその人に対してあるアドバイスを送った。自分の知人でかつてヘルニアになった人を引き合いに出してこう言ったのだ。

「その人も相当大変そうでしたよ。だから○○さんも大変なんでしょうけど、頑張ってください。」

僕の中の猫が顔を出したのだろう。思いやり?そうかもしれない。多分思いやりだったんだろう。しかし今になってみると、随分恥ずかしいことを言った気がしている。僕はまだそのとき腰痛なんて大したものではないと内心では思っていたのだ。ただ餌が欲しいときだけ寄ってくる猫と同じで、なんとなく人に優しくしてみたかったのだ。