sakanantanのブログ

カフェを開きたい、日常で感じること、コーヒーの知識などを思いつくがままに書いていきます

老人のような若いカップル

いやー、それにしたって何がなんやら今年も終わるらしい。

皆、何事もなく今年を終えていくんでしょうか。

それとも忙しすぎてそろそろ年が終わることにも気が付いていなかったりするものなのでしょうか。

今年いいことがあった人もいるだろうし、悪いことばかりだった人もいるでしょうね。

僕としては色々と思うことがあります。30になるまでにやり残したことがたくさんあるような気がしているので。

 

そう、僕は26歳くらいから30歳になるまでには、「何か」をつかんでいる予定でした。「何か」とは手ごたえのあるもの、というかこれから生きていくうえで軸になるようなものを実際に感触として手に入れ、視界も良好になっている「はず」でした・・・

 

が、まったく駄目ですね。

 

5年後の自分っていうのを考えたほうがいい、とある人に言われたのは多分去年のことでした。そのときに比べたら、確かに少しだけ進歩したような気がする。360度どこを向って歩き出せばいいのかわからない、まるでどこかの砂漠を一人で歩いているみたいだ、なんて思うことはもうなくて、現実的に何をどうしていったらいいのかが少しずつわかりつつある程度ですが。

でも気分的には最悪です。はっきり言って今まで何をして生きてきたんだろうみたいなことばかり考えている。どうしようもないことだけど。

 

まだ老人ではないんだけど、自分が老人のように感じているのかもしれないですね。何かの小説に同じようなことが書いてありました。先が見えない若いカップルは自分たちを老人のように感じる、と。

小説の中の数行だったと思うんですが、それを読んだときまさに以前の自分のことだなと思いました。

20歳前後のころ、ひょっとしてもう自分は老人なんじゃないかと思ったことが何度もあった。でも、今の僕には彼女はいなくて、どちらかと言えばこっちの映画の方がしっくりきますね。

 

 

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何もすることがない老人。特に何も考えることがないから、明日の天気予報ばかりずっと気にしている。最近そういう人を見かけました。確かこの映画の中でも老人が出てきます。でも若いカップルは天気予報だけ見て過ごすわけにはいかなくて、生活のためにはお金が必要で、でも働きたくないから色んな悪いことをして破滅していく。そんな映画でした。この映画を見たときは半分他人事のよう思って鑑賞していましたけど、実際今になってみるとこの映画のラストの感覚はよく解ってしまう。馬鹿馬鹿しいことに、何となく他人の忠告を聞き流して生きている人間の頭では、自分の問題として捉えることがなかったらしいですね。

 

逆に自分の倍くらいの年の人でも、ものすごくエネルギッシュな人を見かけたりするので、精神的な若さにとって年齢は関係ないんでしょう。自分はもうだめなんじゃないか・・・みたいなことを思う必要はないんでしょうね。そういう人たちからは励まされます。

 

結局、何となく幸運が空から降ってきたりはせず、そんなのずっと以前から解りきっていたことで、誰かに指摘されるたびに僕はそうじゃない、そうじゃないんだよ。わかってないのは君たちのほうだ・・・みたいなことばかり言ってきて、でも結局今になって思うことは、周囲の人達のほうが正解で、僕は間違っていたんだろうということです。

 

そのことについて、強がりかもしれないけど、僕としてはたいして後悔はしていなくて、でも今になって何か手に入れたいものが見つかったときに、それがあまりに遠くの世界のもののように思えてしまうときに、どうしてもやりきれない気持ちになることが多い。

 

昔から他人と同じことをするのが嫌いでしたし、今でもそれは変わっていないんでしょうけど、もしもうちょっと自分の将来について予測できていたら、今になってこんな気持ちになったりはしなかっただろうな、とは思います。でもまあそれもおそらく無理だったでしょう。今更言っても遅い。そしてそんなこと、今自分の周囲の人からすればどうでもいいことであって、僕としてもそんなことばかり考えたくはない。ただ何となく寂しい気がします。

 

というのも、あの頃のあの殆ど何の意味もなく過ぎていった時間は何だったんだろう・・・みたいなことをよく思うからです。殆どなんの意味もなく生きていたような気がします。意味がないということに意味があるんだ、みたいな訳の分からないことを本気で考えていました。

殆どのことに意味がない!と言ってしまわないと、どうしようもないくらいの状況だったんでしょう。何もかもリセットして「生まれ変わる」ことを望んでいたのかもしれない。悪いけど、昨日までのことはきっぱり忘れるよ!すべて水に流そう!

 

でも、そんな風に簡単に流せるようなものじゃなかったし、そんなに器用に生きられる人間でもなかったんですね。

多分たくさんのことに意味はないとしても、意味がないと言ってはいけないことってのがあって、それは人を殺してはいけない理由とかが解りやすいんだろうと思います。

 

それは少し大げさかもしれないけど、あまりにもニヒリスティックに生きてても駄目で、というか、そんなことを他人にたいして言ってしまっていいのかってことかもしれない。

他人に対して「何悩んでんだよ。すべてのことに意味なんてないんだからさ!」って言ったところでだから何なんだって話でしょう。励ましにも何にもなっていないじゃないか、と思うことが最近あって、今はあまりそういうこと言わないようにしています。

 

ただ、本当にどうしようもなく追い詰められているようなときに、意味なんかあるか!といいきってしまいたくなる気持ちになることがあっても、それは多分開き直りでしかないんでしょうけど、どこかにそういう気持ちを持つということが悪いことだとは思いません。あまりに色んなことを考えすぎて頭がパンクしてしまうよりは少し余裕を持っていたほうがいいんじゃないかと。

 

クリスマスも終わりました。今年はあまりカップルを見なかったような気がします。それはそれで寂しい気もしますが、先が見えないから恋愛しない人っていうのはたくさんいるんでしょう。僕は単純に出来ない人です。先が見えないから恋愛をしないというのは僕のような出来ない人間からすると少し羨ましい悩みのようにも思えたりもします。

 

若いカップルも、いつか年を取って少しずつ成熟していくにつれ、若返っていくのかもしれない。もしそんなカップルがいたら素敵なんじゃないかと思います。